推しという概念
私は私が好きなもののどこが好きなのかを、秋の夜長に考えてみようと思いました。
以下、その文章です。
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推しのどこが好きなのか、沼にはまればはまるほど言語化できなくなりますよね。
強火二宮担西畑大吾(なにわ男子)の「今となってはどこが好きか分からないんですよね」発言に首がもげるほど頷いた記憶があります。
とはいえ現役文学部生としては、言葉にできないという表現で逃げるのはプライドが許さない、というわけで頑張って言語化していこうと思います。
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結果、ここらへんで心変わりしました。早くない?導入部分書いただけなのに?と我ながら思いますが、「女心と秋の空」とはよく言ったもので...
心変わりして今回書くのはタイトルにもあるように「推しという概念」についてです。
あくまでも私の思う「推し」であり、人それぞれに推しの受け止め方も解釈の仕方も違うと思います。決して辞書に載っている、誰もが持つ共通認識の「推し」ではありませんので、ご承知おきください。あと、たぶん途中でお気持ち表明文みたいなことになる予感がします。自衛よろしく。
ちなみにまだ広辞苑には「推し」という言葉は載っていないみたいです。この言い回しがかなりポピュラーになってきている今、流行語というより新しく定着していく言葉になりそうな感じがするので、広辞苑に掲載されるのも時間の問題かもしれませんね。
脱線しちゃった。
私が好きな「推し」ってどの範囲を指しているのかなって話をしていきます。
例えば、私のオタク人生の始まりである嵐で言えば、狭義の推しはリーダー、翔ちゃん、相葉くん、ニノ、松潤というメンバー5人です。
しかし私は5人だけが好きなのではないなと思います。
私が好きなのは嵐に関わるスタッフさん、嵐を推すファン(ニノの言葉を借りるならば6人目の嵐の皆さん)も含めた大きな大きな集団です。
芸能人のファンの方なら共感していただけると思いますが、推しの大事な話ほど週刊誌に知らされがちですよね。そのたびに嘘であってくれと願い、そんな思いも虚しく傷つきますが、嵐は活動休止を本人たちの口で報告してくれました。
5×20の12月24日公演、ペンライトが自動制御される前、誰が言うでもなく真緑に染まった東京ドーム。登場早々「気使わなくていいよ」と言った相葉くんの言葉を聞いてもなお、緑色に染まったままのあの場所の温かさ。
スタッフさん、ファンの雰囲気もいいからこそ楽しくオタクをできているなと思います。
まぁ、嵐だって平和じゃないこともありましたし、一概に嵐は最高とも言えませんが💛(絵文字から察してください)
【避難勧告】ここからお気持ち表明というか、担降りしそうになっている出来事を話します。【⛄の話】
以下スクロールするとお気持ちが書かれています。
Snow Manって公式アカウントのノリは痛々しいし、他ステしている大手垢をさらすオタクがいるし、先輩の曲をカバーさせてもらったことに対して「Snow Manが歌ったからあの曲がはねた」なんて言えてしまうオタクもいるし、スタッフサイドもファンもしんどい。
コロナのときのノリは公式もそれに乗るオタクも寒すぎて共感性羞恥でどうにかなるかと思いました。
もちろんこの感情は私個人の思いなので、自衛を頑張るしかないわけですが。
極めつけに本人の口から白ペンラの発言...
ちょっとそろそろオタクするのがしんどくなってきました。
Snow Manという大きな集団は、私にとって居心地のいい場所ではない。
デビュー後一度も会えてないし、というか9人が並んだ姿生で見れてないし、一回会うまではオタク続けようと思っていたけれど、ちょっと無理かもしれない。
もし私が推しを「メンバー」だけの小さな集団として捉えていたなら、まだペンライトのこと以外気にならなくて、そこまで悩むことなく今も楽しくオタクしていたのかな。
明確に降りるという決意はまだできないけれど、私の推し楽しいから一緒に見ようよ、なんて胸張って言えない。
いつかまた楽しくオタクできる日まで、茶の間とまではいかないけれど、そのくらいの緩い熱量で距離を保ってスノオタしようと思います。
戻りたいと思える日が来ることを願いながら。