少年たちの桶ダンスが好きになれない話
お久しぶりです。長文を書く気力が沸かないまま夏休みが終わってしまいました。毎月ブログを書いていた大学二年生の頃の私元気か?三年生の私は課題とオタ活と就活とバイトで死んでいてなかなかブログを書けずにいるよ(笑)
課題やらエントリーシートやらで文章書きすぎて、執筆というもの全般に飽きている私が久々に書きたいテーマ見つけたよ!楽しい話題じゃないよ!楽しいこと書いてたいのにね!
さて、表題の件ですが(ビジネスメールか?)、9月26日に少年たちを見てきました!Hi美を見るのは令和入ってからだと初めてのような気がしないでもない。多分平成最後の少年収ぶりのはず。タイトルで察していただいているとは思いますが、桶ダンスに対して思うところを書き連ねています。嫌な人は回れ右!いや、回れ右じゃなくて私の他のブログ読んでくれたら嬉しいけど。
おすすめ記事貼るね?
作家人生10周年記念で出版するらしい彼の記事。
さ、今度こそ少年たちの話をしよう。内くん名義で当たったと思ったらA席に勝手に振り分けられててちょっぴり残念でしたが、3階最前は他の観客に煩わしさ感じないから割とありかも~と思いました。ただ、3階席の良くない点はお風呂シーンです。体を洗うシーン、モザイクガラスで隠すべきところは隠されていると思いますが、3階から見ていると少しでもガラスから下がられると裸パンツ(ベージュのパンツのこと、淵から黒色が見えているメンバーがいたのでスパッツ的に下着の上から履いていると思われる)部分が見えてしまいます。確かに万が一見えてしまってもいいように裸パンツをはいているのでしょうけれど、その一方でお風呂であることの再現性として肌色のものを身に着けている以上、それは実質裸であり人に見せない努力をしてほしい。まあ、3階から見えてしまうことは気付けていないのかもしれないが、見せてはいけないという意識が薄いだろうと感じる出来事があったのだ。私が見た回では、浮所の無茶ぶりで瑞稀があざとく大好きと言っていたが、言い終えた瑞稀が恥ずかしさからかしゃがみ込んでいた。しゃがめばもちろんモザイクガラスよりも下に行くので、二階席や一階席からも見えてしまったはずだ。また、モザイクガラスが外されて、桶ダンスに移る際に照明が控えめになるが、完全な暗転ではないため演者が見える状態である。その際もきちっと桶で隠すメンバーと明かりがつくまでに隠せばいいや的なメンバーがいる。この二点から、見せない意識は低いものとして考えた。
そもそも私は裸が好きではない。というか、裸を安売りすることが好きではない。裸は親しい人間にしか見られたくないし、見せてほしくないし、もし見せるならせめて丁寧に扱ってほしい。雑誌であったり、楽曲であったりでセクシーさのアピールとして肌を見せることは珍しくない。それらの多くは世界観を表現するために大切に作られたものである。また極端な例としてan・anのセックス特集号が挙げられるが、あれは掲載される側が仕事として受容し、買う側もそういうものとして受容している。この構図は少年たちにも適用できるかもしれないが、一方で演者がどれだけ受容しているかという点で、an・anと性質が異なるのではないかと思う。グループとしてもらう仕事である以上、グループとして足並みを揃えなくてはならない。もちろん事務所として仕事を断ること自体は否定していないだろう。根拠として先日のYouTubeでのニノ(二宮和也)の発言を載せておく。時間指定もしているので私が根拠とした発言だけすぐに確認できるはずだ。
#163【ジャにのの夏!】ついに夏が始まった日 - YouTube
ただこれはデビューをして確固たるポジションを築いた人間の言葉である。Jrに同じ裁量があるともないとも言えないし、私は前述の通りグループで仕事をもらっていることから断ることは厳しかったと推測する。また、その状況を受け取る側も、an・anのセックス特集はそういうものだと理解して買う一方、少年たちは長年上演されているとはいえ、それを前面に出しているわけではなく、あくまで少年院が舞台の作品であり、想定外にあの場面に出くわす人もいないとは言い切れないだろう。
お風呂だから裸だね、という単純な理由で裸を見せる必要は本当にあるのか。そもそもあのシーンは必要なのか。私はあのシーンはなくてもいいと思う。あのシーンで唯一必要な要素があるとすれば、那須が橋本との関係性をカミングアウトし、「そんなこと知ってたよ」と言われる流れであり、お風呂である必要性はない。掃除でも何でもしながらこなせる会話ではないだろうか。
そしてお風呂シーンの問題はこれだけではない。アドリブで優斗が言った「皆さん本日は猪狩のあそこにご注目。いつもより盛り上がっております」も大きな問題だろう。そのあと誰かが「でっか」と合いの手を入れたのも含めて、下ネタである。本人たちが率先して裸の安売りをしている。あるいはやけくそに安売りでもしなければやっていられないのかもしれないが。
脚本的にも本人たちの心情としても裸を安売りするそのスタンスがいまだに続いていることが、若い世代から(もちろん上の世代にも)人気のコンテンツとして長年覇権のある事務所がいつまでもそれを変えないことが、あまりにも心苦しく、私は二度と少年たちにお金を落とさないようにしようと感じた。正直桶ダンスが大きな理由である一方で演劇専攻として、脚本の無駄な面やキャラクターたちの行動理念の謎な点などにも辟易しているので、今回の観劇を最後にしようと決意するに至った。
ここまで読んでくださった方はもしかすると私と似たような思いの方が多いかもしれないが、桶ダンスを好きな人を否定するつもりはないですし、そのような需要があるからなくなっていないという面も否定はしたくないことは書き添えておく。
Rivalをはじめ、楽曲は好きなものが多いので、いつぞやの少クラの楽曲パフォーマンスだけ擦って生きていきます!
次にブログを書くときは楽しい話題で書けたらいいな!
こっしーに遭遇した話
きっと誰もが「推しと遭遇したらどうしよう」って一度は考えたことがあると思います。
え?ない?あるでしょ......先生怒らないから正直に言ってごらん?
私は常々「どうしよう」と考えていました。
しかしこのどうしようは、応援していることを伝えようだとか何をしようという意味でのどうしようではなく、そんなイレギュラーでハッピーな出来事が本当に起きたら困っちゃうなという気持ちでした。
そんなもん、考えてないも同然ですね…...
私のオタク歴もそれなりになり、現場数もそれなりになってきて、見学被りとか見学前・後にすれ違う、みたいな経験はもう珍しくなくなってきました。
その程度じゃもう揺らがないほどに成長しました。
ところがどっこい、そんな私がとんでもなく驚く出来事が起きたのです。
母と弟と東京駅で行われていたハリポタ展を見に行ったあと、せっかく来たのだからと帝劇までお散歩したのが事の始まりでした。
どでかいSHOCKのポスターの前で写真を撮り(というか弟に撮らせたのがこの写真)、せっかくだから帝劇の看板と千と千尋の神隠しのポスターも撮ろうかと振り向いたところ、やんごとなきオーラの方が視界に。
そうです、ふぉ~ゆ~の貴公子・越岡裕貴さんです。
思わずお母さんの腕にしがみつきました。
私「どうしよう、こっしーいるこっし―いる」
母『誰?』
私「この写真の人」
母『声掛けてみたら?』
私「無理」
なんて言いつつ、母に背中を押されお声掛けさせていただきました。
本当に神対応で、優しくてかっこよくて、現実世界に存在するんだ~と感動しました。今でも思い出してドキドキしています。
SHOCK見にいきますって言ったからだと思いますが、別れ際に「また」って言ってくれたの本当に嬉しすぎました。
いくら千と千尋の神隠しが休演日とはいえ、来月帝劇に立つ男が正面入り口前にいるのはどうかと思うぜ......あゆふぉゆ書く場所なんて他にいくらでもあるでしょうに。
神対応をありがとう、素敵なひと時をありがとう。
一生忘れられないし、走馬灯の中の長い時間をきっとあの瞬間が占めるだろうと思います(笑)
そしてそのあと帰りの電車の中で、あゆふぉゆで裕の字が湯につかっているのを見て、あの文章を読んで再び心臓をバクバクさせました。
本当に心臓に悪い、寿命縮みました。
というか今日死んでも後悔ないって程の幸せを感じました。
ただ、私は死ぬわけにはいきません。
御本人にSHOCK見にいくって宣言をしてしまったし、「また」と言われてしまったので。
少なくともSHOCKを見るまでは強く生きようと思います、この素敵な思い出を胸に。
図書委員になりました
学校の委員会決めの話ではありません。
そりゃそうだ。私もう大学生だし。
大学に図書委員会ないし。
なんと私、KinKi Kidsのファンクラブに入りました。
2022年1月1日。カウコン放送終了直後。
もはやほぼ無意識でした。
家族にあけましておめでとうございますって言うより先に、KinKi Kidsのファンクラブに入会。何しとんねん。
放送終わって、ふぉ〜ゆ〜がCDケース振りかざしてたのが私の幻覚じゃないことをTwitterで確認し、FC入会。
時間をご確認いただければと思います(笑)
初めて生でEndless SHOCKを見た2019年に、1度仮登録までしたことはありましたが、それからも何度も「私が好きなのはSHOCKのコウイチであって、KinKi Kidsの堂本光一では無い」と言い聞かせ、踏みとどまってきたんです。音楽番組を見て、ブンブブーンを見て、どんなもんやを聞いて、何度も揺らいでは耐えてきました。
でもね、オタクってチョロQ。
やめとこ、やめとこって思ってた時間が長い方が初速が早い。
ここまで何度も踏みとどまってきた私が、ファンクラブ会員になる決め手は、「バックで踊るふぉ〜ゆ〜を愛おしそうに振り返る堂本光一」でした。
いや、些細すぎる(笑)
ってか、ふぉ〜ゆ〜のオタクしててKinKi Kids通らずに入れるわけないじゃんね(言い訳)
という訳で新米図書委員になりました。
推しが増える度に「これ以上推しは増やさない」って心に決めてきたけれど、今回に関してはファンクラブ入会こそこのタイミングだったけれど、前々から好きだったので別に推しが増えたわけではないと思います。
うん。だから許す。
ノリと勢いで動くのがオタク。
脊髄反射で課金しちゃうのがオタク。
もうこれはオタクの性であり、運命(さだめ)なのです。
みんなも軽率に沼増やしてこうや!!
さて、図書委員になって最初のKinKi Kidsの現場はいつになるかな〜?
とりあえずはSHOCKか?光一くんと剛くん2人の姿が見れる日が楽しみや〜!!
楽しいこと、楽しみなことが増えた人生、ますますハッピーで最高♡
今年も元気にオタクしてくぞ〜!!
という訳で新年の挨拶に代えさせていただきます(!?)
より一層ジャニーズ事務所を愛し、健やかにオタクをしていきますので、暖かく見守ったり、時には楽しく語り合ったり、現場で会ったり、していただけますと幸いです🙇♀️
加藤シゲアキ「渋谷サーガ」に見る文学の中の都市
※大学の授業で書いた文章を、せっかくだからもっと多くの人に読んでもらいたいなってことで載せてみました!!
読者が共通の文献を読んでいることを前提とした文になっているので、読みにくいかとは思いますが、高校の卒論で研究していたこととも結びつけて簡潔にまとめられた、お気に入りのレポートなので、よろしければ読んでください!!
・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚
この章(記録と記憶のメディア論/谷島貫太・松本健太郎編/ナカニシヤ出版)(第I部 第3章 テレビに封印された都市の記憶)ではテレビという映像表現に封印された都市の記憶をテーマとしている。冒頭で著者は文学のなかの都市は意図的に書かれたものであると述べている。確かにそれは事実ではあるが、そう述べるならば『特集 TOKYO』(NHK・1963)を用いてテレビに封印された都市の記憶を紐解くのは説得力に欠けるのではないかと思う。なぜなら、そのテレビ・ドキュメンタリー番組は意図的に東京という都市を映しているからである。本来は無意識に都市の記憶を封印している番組で説明すべきではないだろうか。そして、完全に都市に対しての意識がない人間は存在するのか、そんな人間でなければ完全に無意識に都市の記憶を封印した表現は作れないのではないかと考える。そこで私はあえて、意図的に東京という街を精力的に取り上げている一人の作家の作品に基づいて、彼が作品に封印した渋谷という都市の記憶を紐解いていきたい。
今回私が取り上げるのは加藤シゲアキの初期の『渋谷サーガ』と呼ばれる三作品、「ピンクとグレー」「閃光スクランブル」「Burn.」である。ジャニーズ事務所のアイドルグループ・NEWS の一員でありながら、作家としても活躍し近年ではエッセイ集も出版している彼の小説には渋谷という土地が多く出てきている。作品に多く渋谷が登場するのは、彼の生活と渋谷が切っても切れない関係だからである。中学から大学まで青山学院に通っていた彼は、日々渋谷に登校していた。また、ジャニーズとしての彼はNHKでの撮影のために、学校以外でもたびたびこの地を訪れていた。渋谷サーガの三作品は全編を通して仄暗いが、彼がそんな物語を書く際に渋谷を舞台に選んだ理由は彼にとっての渋谷が仄暗い場所だからではないだろうか。彼はテレビや雑誌などで学生時代に渋谷でカツアゲをされた話をしているほか、青山学院に通っている間にCDデビューという華やかな経験をしたものの自分の立ち位置に悩み苦しんだ過去を語っている。このような経験が彼にとっての渋谷を彩り、のちに彼が物語を紡ぐ際に色濃く表れたのであろう。
どのようなメディアであろうと、誰かによって表現される以上、完全に客観的なものは存在しない。テレビや映画は複数の人で作り上げることから、比較的客観性が強いメディア背あると言えるが、それでもそれらを完全に客観的なメディアと呼ぶことは不可能である。そして、若い女性という「図」を用いて東京という「地」を表現した『特集TOKYO』は特に主観的な要素が強い。ならばいっそ、主観的の極みである文学作品の方が都市の記憶としての濃度が高いと言えるのではないだろうか。
推しという概念
私は私が好きなもののどこが好きなのかを、秋の夜長に考えてみようと思いました。
以下、その文章です。
______________________________________________________________________________________________
推しのどこが好きなのか、沼にはまればはまるほど言語化できなくなりますよね。
強火二宮担西畑大吾(なにわ男子)の「今となってはどこが好きか分からないんですよね」発言に首がもげるほど頷いた記憶があります。
とはいえ現役文学部生としては、言葉にできないという表現で逃げるのはプライドが許さない、というわけで頑張って言語化していこうと思います。
_______________________________________
結果、ここらへんで心変わりしました。早くない?導入部分書いただけなのに?と我ながら思いますが、「女心と秋の空」とはよく言ったもので...
心変わりして今回書くのはタイトルにもあるように「推しという概念」についてです。
あくまでも私の思う「推し」であり、人それぞれに推しの受け止め方も解釈の仕方も違うと思います。決して辞書に載っている、誰もが持つ共通認識の「推し」ではありませんので、ご承知おきください。あと、たぶん途中でお気持ち表明文みたいなことになる予感がします。自衛よろしく。
ちなみにまだ広辞苑には「推し」という言葉は載っていないみたいです。この言い回しがかなりポピュラーになってきている今、流行語というより新しく定着していく言葉になりそうな感じがするので、広辞苑に掲載されるのも時間の問題かもしれませんね。
脱線しちゃった。
私が好きな「推し」ってどの範囲を指しているのかなって話をしていきます。
例えば、私のオタク人生の始まりである嵐で言えば、狭義の推しはリーダー、翔ちゃん、相葉くん、ニノ、松潤というメンバー5人です。
しかし私は5人だけが好きなのではないなと思います。
私が好きなのは嵐に関わるスタッフさん、嵐を推すファン(ニノの言葉を借りるならば6人目の嵐の皆さん)も含めた大きな大きな集団です。
芸能人のファンの方なら共感していただけると思いますが、推しの大事な話ほど週刊誌に知らされがちですよね。そのたびに嘘であってくれと願い、そんな思いも虚しく傷つきますが、嵐は活動休止を本人たちの口で報告してくれました。
5×20の12月24日公演、ペンライトが自動制御される前、誰が言うでもなく真緑に染まった東京ドーム。登場早々「気使わなくていいよ」と言った相葉くんの言葉を聞いてもなお、緑色に染まったままのあの場所の温かさ。
スタッフさん、ファンの雰囲気もいいからこそ楽しくオタクをできているなと思います。
まぁ、嵐だって平和じゃないこともありましたし、一概に嵐は最高とも言えませんが💛(絵文字から察してください)
【避難勧告】ここからお気持ち表明というか、担降りしそうになっている出来事を話します。【⛄の話】
以下スクロールするとお気持ちが書かれています。
Snow Manって公式アカウントのノリは痛々しいし、他ステしている大手垢をさらすオタクがいるし、先輩の曲をカバーさせてもらったことに対して「Snow Manが歌ったからあの曲がはねた」なんて言えてしまうオタクもいるし、スタッフサイドもファンもしんどい。
コロナのときのノリは公式もそれに乗るオタクも寒すぎて共感性羞恥でどうにかなるかと思いました。
もちろんこの感情は私個人の思いなので、自衛を頑張るしかないわけですが。
極めつけに本人の口から白ペンラの発言...
ちょっとそろそろオタクするのがしんどくなってきました。
Snow Manという大きな集団は、私にとって居心地のいい場所ではない。
デビュー後一度も会えてないし、というか9人が並んだ姿生で見れてないし、一回会うまではオタク続けようと思っていたけれど、ちょっと無理かもしれない。
もし私が推しを「メンバー」だけの小さな集団として捉えていたなら、まだペンライトのこと以外気にならなくて、そこまで悩むことなく今も楽しくオタクしていたのかな。
明確に降りるという決意はまだできないけれど、私の推し楽しいから一緒に見ようよ、なんて胸張って言えない。
いつかまた楽しくオタクできる日まで、茶の間とまではいかないけれど、そのくらいの緩い熱量で距離を保ってスノオタしようと思います。
戻りたいと思える日が来ることを願いながら。
マチソワはしごするよ〜
タイトルのままです。
今日は生まれて初めて、昼公演と夜公演で劇場をはしごします。
それだけ。
ずっっっっっと憧れてたやつ〜♪
やっっっっっと実現させるんだ〜♪
カッコつけて(?)「それだけ。」とか言ったけど、めっちゃテンション上がってます(笑)
天気は良くない☔️けど、全く気にならないほどにルンルンしています。
家出るときに傘を忘れて母親に呼び止められたくらいにはルンルンです😊
マチソワはしごが嬉しすぎて、劇場に向かう電車の中で勢いに任せて書いてます。
普段のブログは一応数日かけて書いてるんですけど(私が遅筆なのもある)、嬉しさとかワクワク感そのまま残したいから勢いのままに書いて勢いのままにアップします。
そういうブログがあってもいいじゃん?
ちなみに本日の予定ですが、お昼は世田谷パブリックシアターで「検察側の証人」、夜は赤坂RED/THEATERで「恋するアンチヒーロー」です。
恋アンは昨日思い立って、当日引換券買いました。
「お金に余裕あるしなんかチケット買うか〜」
↓
「恋アン、まだチケットあるって聞いたな」
↓
「お、本当にあるじゃん買っちゃお」
↓
「もしや念願のマチソワはしご実現のチャンスでは?」
↓
「移動も時間かからないし買っちゃえ」
と、欲望のままに行動しました。
私のこういう思い切りのいいところ、好き嫌い分かれるポイントかなって思います。
私自身が自分のこういうところ大好きなので、周りになんと言われようと別にいいですが🤪
大学生になってから、劇場に行く頻度が格段に上がって、月一は必ずオタ活するようになりましたが、今月は今日の2本を含めて6本観劇。
大人になるにつれて自制心が備わるかと思いきや、経済力が高まったことで自分の欲望にさらに忠実に生きていくようになりました(笑)
大人になるって楽し〜♪
来月は学園祭間近でなかなか思うようにオタ活できないので、来月の分まで今月めいっぱい満喫しようと思います…
Twitterで劇場をはしごしている年上のオタクの皆さんを見ながら「いいな〜」と思っていたあの頃の私に、案外早くにその夢叶うよって教えてあげたらどんな顔するんだろ。と思いながら鏡見たらにこにこしてた。電車の中で1人でにこにこしてる。ちょっとヤバいやつかも知らない。
マスクがあってよかった〜、今日ばかりはコロナにありがとうと言いたい。
それではそろそろ乗り換えの駅なので終わり。
本っ当に楽しみだな〜♪
初日ってことで過度な期待をしていた話
舞台の初日公演とか千秋楽公演って、やっぱり普通の公演より魅力的ですよね?
日程的な問題とか、とりあえず作品を確実に見たいとか、色々な理由で初日や楽を諦めることは多いけれど、行けるならやっぱりそういう公演行きたいと思ってしまうのはオタクの性。
そういう公演、キャストからの挨拶がある・いつもより長いからいいよね。
というわけで今月、「プリンス・オブ・マーメイド」の初日マチネに行ってまいりました。
でね、「初日の挨拶、翔太何話すかな〜」なんて思ってたら、何も話さなかったの。
カテコ1回出てきてお辞儀して終わり。
正直めっちゃガッカリしたんですよ、贅沢な話。
チケット代全日程一律なんだから、初日でも楽でもない公演同様に特別感なくたって、別に当たり前なのに。
でもよくよく考えたら、カテコなしなの、大正解なんですよあの作品。
プリンス・オブ・マーメイドって"エデュケーショナル・エンターテインメント"って銘打たれてて、海洋汚染を中心とした海のSDGsに焦点を当てた作品で、あの作品の最も伝えたいことは作品の中で全て伝えきっている。
カテコで人魚の王子様・カイではなく、主演俳優・林翔太が話すところを楽しみにしてはいたけれど。
きっと林翔太が話を始めたら「コロナ禍」「無事に幕が開いた」という話になっただろう。
それが悪いわけではないけれど、作品が伝えたい海のSDGsにつけ加えて、もうひとつ情報が我々に与えられてしまう。
そう考えると、純粋に海のSDGsとして作品を成立させるにはカテコも最低限、演者全員が1人ずつ(あるいは少人数ずつ)センターに立ってお辞儀をして、最後にカンパニーみんなでお辞儀をして終わりというのは正しいのだ。
オタクの感情、オタクの期待云々ではなく。
ってことにふと気付いたのは見に行ってから3週間くらいしてから(笑)
終演直後とか結構それなりにショックだったもんね…
今、コロナ禍で色々な場面で生じている様々な問題よりも「兎にも角にもコロナ対策!!」みたいな時期に、この作品を上演するその覚悟の表れがきっとあの短くて簡潔で最低限のカテコだったんじゃないでしょうか。
さ、それに気付いた私は、海のSDGsのためにまずは何からしようかな?
見に行った皆さんも、見に行ってないけどこのブログに出会った皆さんも、余裕を持ち得るならば海のこと考えてみませんか?
なんか先月がLGBTQの話で今月がSDGsの話だと、本当にこのブログがジャニオタのものなのかって感じするけど(笑)
現役大学生、月に1回くらいは真面目な顔もしてみたいのです、というわけで。
ブログのタイトルに迷って「○○な話」ってつけがちなゆかりんちょでした。
毎月ブログを書くというマイルール、しんどいから来年はやらないにしようかな…って思ったり思わなかったり。
プリンス・オブ・マーメイドに合わせて、海モチーフのネイルしたんですけど、めっちゃ可愛いから最後に自慢させて(笑)
全部百均のマニキュアで塗りました♪安上がり(チケット代払ってたらシンプルに金欠なだけ)