ゆかりんちょのブログ

観劇が趣味のジャニオタが気が向いた時だけ書くブログです。

『場内アナウンスさえも作品です』

場内アナウンスから作品は始まっている。

アナウンスまでが作品である。

 

なんだか出だしが先月のブログと似ているような気がしないでもないですが(笑)だって本当にそう思ったんだからしょうがないです …

 

https://yk5240rin.hateblo.jp/entry/Wtrouble 

 

実は今回のこのテーマ、3月に書こうと思ってたネタなんですが、うまく言語化できなかったのともっと書きやすいネタを見つけたので封印していました。

 

3月に書こうと思ったきっかけは、舞台『 ぼくの名前はズッキーニ』 の開演前と終演後のアナウンスが作品の登場人物・ ベアトリスだったことです。 ベアトリスはママが迎えに来てくれることを信じて、自分が暮らす児童養護施設に車が来るたびにママが迎えに来てくれ たのだと期待しては落胆する女の子です。「 ぼくの名前はズッキーニ」の原作にも映画にも触れないまま観劇した私は、 開演前アナウンスのベアトリスを可愛いなと思っていました。

 

だって「劇場内でのもぐもぐ、ごくごくはお控えください」(意訳 )とか言うんですよ?無味乾燥なアナウンスに慣れ親しんで、ついつい聞き流しがちになる開演前。ぐっと引き込まれました。 彼女は言い方こそ拙いけれど、きちんと劇場のマナーをアナウンスしてくれます。ただ、 唯一開演前のアナウンスには必要ではない言葉「 今日はママ見に来てくれるかな」を除いて。

 

何度も繰り返しますが、開演前の私が持っていた予備知識は公式サイトのあらすじくらいだ ったので、ベアトリスの背負うものを分かっていませんでした。児童養護施設で暮らす複雑な事情を持っている子、としか見えていなかった…。

 

でも彼女の「今日はママ見に来てくれるかな」、その言葉はとても切なくて重たいものでした。

 

いい子にしていたら迎えに来るという言葉をまっすぐに信じて、 みんなの家で生きているベアトリス。 親が言い残したいい子にしていたらという言葉。 ベアトリスを宥めるためについ口をついて出ただけの言葉だったかもしれないけれど、彼女はその言葉を支えに日々生きている。

 

終演のアナウンスのときの「明日はママ、見に来てくれるかな」は、 ベアトリスがその言葉を信じて生きているのに毎日迎えが来なくて期待を裏切られていることを知ったうえで聞くから、 開演前のアナウンスとは重さが違う。

 

主人公のズッキーニがカミーユとともに一般家庭に引き取られ、 大人になったシモンが養子をもらいに来るという、 幸せな描写で物語は終わるけれど、 ベアトリスはまだママが迎えに来てくれることを信じてみんなの家にいることを観客に突き付けて、 本当に作品が終わったと感じました。

 

物語が終わっても登場人物の人生は続いていく、 そんなこと分かり切っているし、 なんなら勝手に続いていくその先の人生考えてニマニマするのが好きだったりするけれど、 作品の方から明確にそれを突き付けられることはそう多くなくて、 何より終演したと思って気を抜いているタイミングで突き付けられ たことでよりインパクトがあったように感じます。

 

本編はほぼほぼこれで終わりです。

 

しかし‼なんで3月に見た作品の感想を6月になってから上げたのか、その弁明をしなくてはなりません。(弁明とは?)

 

「場内アナウンスから作品は始まる」と、 再び思う出来事があったから、一度は言語化を諦めたこのテーマで書かなくてはと思ったのです。

 

舞台『スマホを落としただけなのに』、開演ぎりぎりに「 スマートフォンの電源を落としてください、 そうしないとあなたのスマホがロックされます」 という警告音が流れ、そのまま開演したのです。 警告音で心臓がきゅっとなって、 物語の世界にグイっと引き込まれました。

 

こんなこと書いてたら劇場行きたくなってきました。 冷静なアナウンスも物語の世界観を尊重したアナウンスも何でもいいからアナウンス聞きたい~‼