ゆかりんちょのブログ

観劇が趣味のジャニオタが気が向いた時だけ書くブログです。

加藤シゲアキ「渋谷サーガ」に見る文学の中の都市

※大学の授業で書いた文章を、せっかくだからもっと多くの人に読んでもらいたいなってことで載せてみました!!

 

読者が共通の文献を読んでいることを前提とした文になっているので、読みにくいかとは思いますが、高校の卒論で研究していたこととも結びつけて簡潔にまとめられた、お気に入りのレポートなので、よろしければ読んでください!!

 

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この章(記録と記憶のメディア論/谷島貫太・松本健太郎編/ナカニシヤ出版)(第I部 第3章 テレビに封印された都市の記憶)ではテレビという映像表現に封印された都市の記憶をテーマとしている。冒頭で著者は文学のなかの都市は意図的に書かれたものであると述べている。確かにそれは事実ではあるが、そう述べるならば『特集 TOKYO』(NHK・1963)を用いてテレビに封印された都市の記憶を紐解くのは説得力に欠けるのではないかと思う。なぜなら、そのテレビ・ドキュメンタリー番組は意図的に東京という都市を映しているからである。本来は無意識に都市の記憶を封印している番組で説明すべきではないだろうか。そして、完全に都市に対しての意識がない人間は存在するのか、そんな人間でなければ完全に無意識に都市の記憶を封印した表現は作れないのではないかと考える。そこで私はあえて、意図的に東京という街を精力的に取り上げている一人の作家の作品に基づいて、彼が作品に封印した渋谷という都市の記憶を紐解いていきたい。
今回私が取り上げるのは加藤シゲアキの初期の『渋谷サーガ』と呼ばれる三作品、「ピンクとグレー」「閃光スクランブル」「Burn.」である。ジャニーズ事務所のアイドルグループ・NEWS の一員でありながら、作家としても活躍し近年ではエッセイ集も出版している彼の小説には渋谷という土地が多く出てきている。作品に多く渋谷が登場するのは、彼の生活と渋谷が切っても切れない関係だからである。中学から大学まで青山学院に通っていた彼は、日々渋谷に登校していた。また、ジャニーズとしての彼はNHKでの撮影のために、学校以外でもたびたびこの地を訪れていた。渋谷サーガの三作品は全編を通して仄暗いが、彼がそんな物語を書く際に渋谷を舞台に選んだ理由は彼にとっての渋谷が仄暗い場所だからではないだろうか。彼はテレビや雑誌などで学生時代に渋谷でカツアゲをされた話をしているほか、青山学院に通っている間にCDデビューという華やかな経験をしたものの自分の立ち位置に悩み苦しんだ過去を語っている。このような経験が彼にとっての渋谷を彩り、のちに彼が物語を紡ぐ際に色濃く表れたのであろう。
どのようなメディアであろうと、誰かによって表現される以上、完全に客観的なものは存在しない。テレビや映画は複数の人で作り上げることから、比較的客観性が強いメディア背あると言えるが、それでもそれらを完全に客観的なメディアと呼ぶことは不可能である。そして、若い女性という「図」を用いて東京という「地」を表現した『特集TOKYO』は特に主観的な要素が強い。ならばいっそ、主観的の極みである文学作品の方が都市の記憶としての濃度が高いと言えるのではないだろうか。